私にとってドイツという国!?


Schloss-Neuschwanstein-2_1920.jpg

★ディズニーランドのシンデレラ城の基になった「Schloss Neuschwanstein

ドイツには城を表わす言葉としてこの「Schloss」と「Burg」の単語があります。

その違いは「Schloss」が中世以降に建設された城で、「Burg」は中世以前の城です。

したがって、この城は中世後のもので、「Burg」は「ライン下り」の際に多く見られますよ。

 

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マイスタースクールのサッカー大会の写真です
 右下1番目が筆者です。いや〜ドイツ人は強い!!
  この日は活躍度ゼロでした。

 

 ★海外生活(留学)でもっとも大事な事!★ 

異国の土地で暮らせば暮らす程、いろいろな問題に遭遇する
ことはまず間違いない事でしょう。

筆者も裁判ざたになったり、牢獄に入れられたりなど、
ここでは表現しきれない程のいろんな体験をしました。
(この内容は後日紹介するつもりですが、、、)

そうする内に、フラストレーションは限界に達し、
総てに於いてネガティブな感覚を持つようになるのは
筆者だけではないでしょう。


しかし、その不安材料と戯れることのできること、
また、プレッシャーと正しく向き合い、それを楽しみに変える
ことが重要なのです。
 
ただし、海外で成功する云々の以前に、もっとも大事なこと、、、
それはその国を正しく理解することです。

言い換えれば……
その国の歴史、文化はさながら、その国を愛し、
そこに住んでいる人々を敬愛することでしょう。

 
 

 ★な〜んにも知らない!?★ 

私がドイツに着いた頃は……

3月末とは言え、まだまだ、日本の真冬を想わせる寒い国でした。

私が50kgほどの大荷物をぶら下げて、ヨーロッパ
の古いレストラン
や飲み屋が立ち並ぶ、デュッセルドルフの
アルトシュタット
(旧市街)の一角にあるホテルにチェック・インしたのは
土曜日のまだ夜が明けだしたばかりの頃でした。

少し休んで、右も左もわからないものの、取りあえず生活に
必要なものを買わなければならないので、街へ出て
雑貨屋
探しました。

ところが、アーケード街はことの外静まり返り、立ち並ぶ
店々のドアはことごとく閉ざされています。

取りあえず、
空腹を癒そうとブルスト(フランクフルト・ソーセージ)屋の焼きたての
フランクフルト・ソーセージを頬張りながら少し街を散策し、
ホテルに戻りました。

その夜は泥のように寝むりました。

次の日、日曜日は買い物に行こうと思っていたの、で早起きして
いそいそと出かけました。

ところが、アーケード街は昨日よりも静まり返り、
店々のドアはやはり堅く閉ざされています。

後で知ったことですが……

ドイツでは、店で働く人々が他の人々や家族と一緒に休み
を取ることができるように、

商店の閉店時間は土曜日が午後2時まで、
日曜日は完全閉店制だったのです。  

 

                

 『医歯薬出版株式会社/月刊「歯科技工」/
 「あの頃より、、、」引用』

 ●霧にむせぶ Neue Schwanstein Schloss 「写真 上」

   


ハイネの生まれた街、デュッセルドルフの黄昏れとライン川

PS.そういえば、第265代ローマ法王に、ドイツ出身のヨーゼフ・
ラッツィンガー枢機卿が選出されたことも書いとこ。ほんとにドイツ年だね。

ハインリッヒ・ハイネの詩集「帰郷」の第2節に出てくる詩は、
現在「ローレライ」の歌で親しまれているものです。

ナチスドイツの頃は、このハイネがユダヤ人であったため、
この詩を歌うことを禁じました。

ライン下りをすると必ず通りますが、「ローレライの崖」という場所は、
急なカーブを描き、昔は所々に岩が出ていて座礁する舟が
後を絶たなかったそうです。

●夕暮れ時、ドイツ人はおしゃべりを止め、物思いにふけるものです。
それが原因かどうかは皆目、見当が尽きませんが……

「金色に光る髪を金色の櫛ですく乙女」を見上げながら、
沈んでゆく舟を想像すると、「オカルト」とは違った
「メランコリックなロマンティスト」を連想してしまいます。

●私は15年、この「ハインリッヒ・ハイネ」の生家のあるドイツの街、
デュッセルドルフに住んで、黄昏れどきに、ひくい空を見上げながら、

この空がもっと高かったらこの詩はうまれてこなかったん
じゃないか、、、

気候と風土がもたらす民族への影響とひとが暮らすということを、
帰国して東京に住んで18年、しみじみと考えさせられる今日この
ごろです。

少しメランコリック、、、!?

   

★ドイツ年を因んで、、、

当時のドイツ年(2005/2006年)を因んで、
15年間住んだ「ドイツと言う国」を私なりに連想してみた。

そこには中世の町並みとライン川、菩提樹とクリスマスツリー、
厳寒にもかかわらずカラッ!と乾燥してさほど寒さを感じさせない冬と
陽の長い(22時ごろまで明るい)夏のバカンスなどが浮んでくる。

そして、日本とは「時の流れ」が明らかに違うように感じる。

なぜだろう?

当時の西ドイツは資本の蓄積による経済的安定の補償が存在した
ものの、東西ドイツの統合とユーロへの変換によって、
ドイツ経済は困窮し、失業者12、5%を出している。

失業者12、5%というと家族構成から考えて、X 2、5人としても
31、25%ですから、全国民の1/3近くが失業の影響を
少なからず受けているはずです。

しかし、彼等には「余裕」さえ感じる。

人々の暮らしは確かに質素であるし、倹約家が多い。
しかし、家やよそ行きには「本当に良いモノ」には惜しみ無くお金を使う。

彼等は言う「安物買いをするほど我々は裕福じゃ無いよ!」と。。


まず、1つ考えられることは歴史であろう。

成熟した文化のもつ余裕がそこには確実に存在する。
日本とは第二次世界大戦をともに戦い、ともに敗北した。
ドイツはそのまえの第一次世界大戦でさえ負けている。
だが、この余裕は何なんだろう。

●確かに、日本は150年前まで「
侍」の時代でチョンマゲを結っていた。
竜馬達が現れなければ、我々もまだマゲを結っていたかも、、、?!

その頃、ドイツは産業革命の遅れを取り戻すために着々と
「MADE IN GERMANY」を体系化していたのである。

お金が非常に多く、また迅速に回転しているのです。




ドイツ_建造物-(42)

 

★ドイツのクリスマスの情景「写真 上下」




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