マイスタースクールのサッカー大会の写真です
右下1番目が筆者です。いや〜ドイツ人は強い!!
この日は活躍度ゼロでした。
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★海外生活(留学)でもっとも大事な事!★
異国の土地で暮らせば暮らす程、いろいろな問題に遭遇する
ことはまず間違いない事でしょう。
筆者も裁判ざたになったり、牢獄に入れられたりなど、
ここでは表現しきれない程のいろんな体験をしました。
(この内容は後日紹介するつもりですが、、、)
そうする内に、フラストレーションは限界に達し、
総てに於いてネガティブな感覚を持つようになるのは
筆者だけではないでしょう。
しかし、その不安材料と戯れることのできること、
また、プレッシャーと正しく向き合い、それを楽しみに変える
ことが重要なのです。
ただし、海外で成功する云々の以前に、もっとも大事なこと、、、
それはその国を正しく理解することです。
言い換えれば……
その国の歴史、文化はさながら、その国を愛し、
そこに住んでいる人々を敬愛することでしょう。 |
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★な〜んにも知らない!?★
私がドイツに着いた頃は……
3月末とは言え、まだまだ、日本の真冬を想わせる寒い国でした。
私が50kgほどの大荷物をぶら下げて、ヨーロッパの古いレストラン
や飲み屋が立ち並ぶ、デュッセルドルフのアルトシュタット
(旧市街)の一角にあるホテルにチェック・インしたのは
土曜日のまだ夜が明けだしたばかりの頃でした。
少し休んで、右も左もわからないものの、取りあえず生活に
必要なものを買わなければならないので、街へ出て雑貨屋を
探しました。
ところが、アーケード街はことの外静まり返り、立ち並ぶ
店々のドアはことごとく閉ざされています。
取りあえず、
空腹を癒そうとヴルスト(ソーセージ)屋の焼きたてのフランクフルト・
ソーセージを頬張りながら少し街を散策し、ホテルに戻りました。
その夜は泥のように寝むりました。
次の日、日曜日は買い物に行こうと考えていたため、早起きして
いそいそと出かけました。
ところが、アーケード街は昨日よりも一層、静まり返り、
店々のドアはやはり堅く閉ざされています。
後で知ったことですが……
ドイツでは、店で働く人々が他の人々や家族と一緒に休み
を取ることができるように、
商店の閉店時間は(基本的に)土曜日が午後1時まで、
日曜日は完全閉店制だったのです。 |
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『医歯薬出版株式会社/月刊「歯科技工」/
「あの頃より、、、」引用』
●霧にむせぶ Neue Schwanstein Schloss 「写真 上」 |
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●ハイネの生まれた街、デュッセルドルフの黄昏れとライン川
PS.そういえば、第265代ローマ法王に、ドイツ出身のヨーゼフ・
ラッツィンガー枢機卿が選出されたことも書いとこ。ほんとにドイツ年だね。 |
●ハインリッヒ・ハイネの詩集「帰郷」の第2節に出てくる詩は、
現在「ローレライ」の歌で親しまれているものです。
ナチスドイツの頃は、このハイネがユダヤ人であったため、
この詩を歌うことを禁じました。
ライン下りをすると必ず通りますが、「ローレライの崖」という場所は、
急なカーブを描き、昔は所々に岩が出ていて座礁する舟が
後を絶たなかったそうです。
●夕暮れ時、ドイツ人はおしゃべりを止め、物思いにふけるものです。
それが原因かどうかは皆目、見当が尽きませんが……
「金色に光る髪を金色の櫛ですく乙女」を見上げながら、
沈んでゆく舟を想像すると、「オカルト」とは違った
「メランコリックなロマンティスト」を連想してしまいます。
●私は15年、この「ハインリッヒ・ハイネ」の生家のあるドイツの街、
デュッセルドルフに住んで、黄昏れどきに、あの低い空を見上げながら、
この空がもっと高かったらこの詩はうまれてこなかったん
じゃないか、、、?
気候と風土がもたらす民族への影響とひとが暮らすということを、
帰国して東京に住んで19年、しみじみと考えさせられる今日この
ごろです。
少しメランコリック、、、!?
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★ドイツ年を因んで、、、
●当時のドイツ年(2005/2006年)を因んで、
15年間住んだ「ドイツと言う国」を私なりに連想してみた。
そこには中世の町並みとライン川、菩提樹とクリスマスツリー、
厳寒にもかかわらずカラッ!と乾燥してさほど寒さを感じさせない冬と
陽の長い(22時ごろまで明るい)夏のバカンスなどが浮んでくる。
そして、日本とは「時の流れ」が明らかに違うように感じる。
なぜだろう?
当時の西ドイツは資本の蓄積による経済的安定の補償が存在した
ものの、東西ドイツの統合とユーロへの変換によって、
ドイツ経済は困窮し、失業者12、5%を出している。
失業者12、5%というと家族構成から考えて、X 2、5人としても
31、25%ですから、全国民の1/3近くが失業の影響を
少なからず受けているはずです。
しかし、彼等には「余裕」さえ感じる。
人々の暮らしは確かに質素であるし、倹約家が多いものの、
家やよそ行きなど「本当に良いモノ」には惜しみ無くお金を使う。
彼等は言う「安物買いをするほど我々は裕福じゃ無いよ!」と、、、
ここで、先ず1つ考えられることはその歴史であろう。
成熟した文化を有する余裕が、そこには確実に存在する。
日本とは第二次世界大戦をともに戦い、ともに敗北した。
ドイツはそれ以前の第一次世界大戦でさえ負けている。
だが、この余裕は何なんだろう。
●確かに、日本は150年前まで「侍」の時代でチョンマゲを結っていた。
竜馬達が現れなければ、我々もまだマゲを結っていたかも、、、?!
その頃、ドイツは産業革命の遅れを取り戻すために着々と
「MADE IN GERMANY」を体系化していたのである。
経済が非常に大きく、また迅速に回転しているのです。
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★ドイツのクリスマスの情景「写真 上下」
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