マイスターとは...?
マイスター称号取得日記 その1
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マイスター称号取得日記 その1




『医歯薬出版株式会社/月刊「歯科技工」/「あの頃、、、」、
および、
(株)クインテッセンス出版、QDT
1993,Vol.18,No.8より引用』

★ようやく手にしたマイスター称号!! 

「Hr.Ohata・・!」試験委員会が合格者を読み上げます。
マイスター学校の同僚たちから歓声が湧き上がる。

 1992年11月30日、筆者はドイツの歯科技工士マイス
ターの称号を手にした。歯科技工士マイスターには、歯科
技工士としての技術や歯科的専門知識のみならず、財務
・経済・法律・教育・・といった幅広く、しかも深い一般教
養が求められます。マイスター試験においても、これらの
筆記試験、および口頭試験が占める割合は非常に大きい
のです。        

★左の画像はマイスター授賞式の写真です 94業種
の各種新マイスター、2004名が一斉に集いました。


★続 ようやく手にしたマイスター称号!! 


ドイツ語でのこれらの試験勉強には、非常に苦労
させられました。経営者・指導者には、リーダーシップ
とともに、物事を総合的・多角的にとらえ評価するこ
とができるオールラウンドプレイヤー的、かつ、総監
督的な要素と資質が求められるのがドイツという国な
のです。

そのマイスターを目指して学んだことや、それらの知
識の基づき幅広い見地から物事をとらえる考え方は
、帰国後の今日も、ヨーロッパ・ドイツとの比較考察の
もとに、冷静に日本の歯科界・歯科技工士界の行き先
および自分のなすべきことを導き出すうえで役に立っ
ています。             

★この写真は 授賞式で全2004名の新マイスター
の中から10名が年間最優秀マイスターとしてステー
ジの上に上がることができ、筆者は日本人として初
めての受賞者として表彰されたものです



『医歯薬出版株式会社/月刊「歯科技工」/「あの頃、、、」、
および、(株)クインテッセンス出版、QDT

1993,Vol.18,No.8 より引用


『医歯薬出版株式会社/月刊「歯科技工」/「あの頃
より、、、」引用』

★クリスマス前には上の写真のように、焼き立ての
フランクフルトを売る店など、街角に沢山の屋台が
出て食べるには困りません。でも、クリスマスには街
には殆ど人陰もなくレストランさえ閉まって餓死寸前
になります、、、!
★ 初出勤!★  
 
 月曜日は初出勤です。ホテルは会社(ヘルマン・ラ
ボ)からすぐのところに在り、モード・ショップの脇の螺
旋階段を抜けた2階の扉を開けると髭もじゃで頭髪は
やや栄養不足だが割腹のよい、それでいて眼光鋭い
ロルフ・ヘルマン氏の姿がありました。氏は優しく筆者
を迎え入れ、様々なサンプル・ケースや今ある臨床ケ
ースを見せてくれました。

 どれもすべてオーラル・リハビリテーション(機能性を
考えて歯全部を入れ替える症例)に近いケースばか
りで、しかも、所々に自家製アタッチメントやテレスコ
ープなどのミリングを施した高度な補綴物(人工的に
製作された歯)ばかりで、筆者の眼を輝かすには十
分すぎるほどの質と量でした。

 それからはほとんど毎日、日本ではなかなか製作
できないフルマウス(歯全部を入れ替える症例)を製
作する事ができ、仕事的には有頂天になっていた頃
でした。

★疑心暗鬼の時代からの脱出!  
 
 当時、会社の同僚が何言ってるのかさっぱり理解でき
ないし、ドクターや患者さんとのコミュニケーションなど考
えられない状況が少しずつストレスに感じるようになりま
した。

 心理学の中で、「全く環境の異なる状況下で長く生活し
そして、様々な体験を重ね、また、それが自らの意志と
は基本的に相対する時、自らは知らないうちにフラストレ
ーションが持続することによって、あらゆる生活感覚に否
定的障害を生じる。」という理論があります。
 
 筆者も短いドイツの夏が終わり、そろそろ秋風が身体を
刺すころ、上記の症状に見舞われました。回りの人間が
すべて敵のように想えてきて、深い疑心暗鬼に陥ったの
です。その頃はひたすら自分を何かに没頭させようと、一
生懸命技工に打ち込むことに精神を集中させ、夜はビヤ・
ホールに通い、隣で飲んでいるドイツ人と会話を弾ませる
毎日でした。

 しかし、それも渡独後、1年足らずで消え去り、知らな
いうちにラボでの中心的な存在になっていたのです。そ
れからは、さらにドイツ語とミリング(歯を造るテクニック)
を学び、約3年で『これなら、マイスター学校を受験しても
行けそうだなあ。』とヘルマン氏にも認めてもらえるように
なりました。

 そして、それに追随するように、ドイツを中心としたヨー
ロッパ各国での講演会、講習会、そして、執筆活動が軌
道に乗り始め、週末はほとんど家を空けることが余儀無く
なりました。

 
『医歯薬出版/月刊「歯科技工」/「あの頃、、、」より
引用』★下の写真は中部ドイツ、ミュンスターランドの「デ
ンタル・ボア・ボッヒャート」での講習会 


●『医歯薬出版/月刊「歯科技工」/「あの頃、、、」
より引用』


★下の写真は勉強の合間に、ノイスと言う街の「自衛団
の祭り」に参加したときのものです。この時の「ビール攻
め(ビール=約50杯+ウィスキーのストレート=5杯+ドイ
ツの焼酎=3杯)」のため救急車で病院へ、、、1ヶ月は
ビールを見るのも嫌でした!★
 
★大切な人々との出会いと友情!★ 

 マイスター学校合格と同時に、ドイツで『ミリングの神
様』と呼ばれ、デュッセルドルフ大学トップ教授ブトゥ
ガー教授とともに、日本にテレスコープ・システムやチ
ャネルショルダーアタッチメントシステムを伝承した
「北ドイツの皇帝」ト呼ばれる、グリュンドラー先生のク
ラスに配属が決まりました。

 マイスター学校のコースは全日制と夜間フリータイム
コースの2つがあり、筆者は働きながら学ぶ、後者を
選択しました。授業は言うまでもなくドイツ語ですが、筆
者にとってもっとも難しかったのは、速記です。これに
は先生が口頭で述べる事項をすべてノートに素早く書
き留める、非常に高度なテクニックが必要となります。
 それにはドイツ語をもう一度、1から洗い直す必要性
があります。またもや、昼は臨床、夜はドイツ語とほと
んど1日じゅう机に向かう日々が続きました。毎日曜日
はクラス・メートが筆者の為に勉強会を開いてくれたり、
また、妻が昼間の臨床を手伝ってくれたことなど、様々
な人々が筆者を支えてくれました。




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